努力〜絶対不可能から可能への道〜

さて、今回はかなりまともな議案を。
「努力」について語ろうかなと。


ここで、質問。
あなたにとって「努力すること」ってどういうことなのか?
また、それ(努力)はあなたをどうするものなのか?何の意味があるのか?



人間、誰もが自分を高めようと「努力」に励もうとしているし、実際の社会でも「努力」することが重要視されている今日この頃。
さて、その「努力」って何のためにやってるのか?
自分のため?周りのため?
そもそも、人間は何で自分を高めたいと思うのか?
「できない」ことは「できない」でいいではないか。
それも一個人の性格、特徴と捉えることはできないのだろうか?
何故、人間はできないことに果敢に挑戦し、できるようにしたいのか?
自分の将来のため?周りに格好をつけるため?
しかし、周りができないことを「努力」してできるようにしようという人はあまりいないと感じる。
それはやはり、周りに格好がつかないからやるのではないか。



ところで、「努力」という言葉を聞くと、私には「練習」という言葉とどうしてもダブってしまうところがある。
辞書で調べてみると、
「努力」
心をこめて事にあたること。骨を折って事の実行につとめること。つとめ励むこと。
と書いてある。一方
「練習」
技能・芸事などが上達するように同じことを繰り返しながらおこなうこと
とある。
さて、この説明からわかるように前者は、「できない」ことを「できない」なりに一生懸命こなすこと、と読み取れる。
反対に後者は、「できない」ことを「できる」ように一生懸命やることと読み取れる。

つまり、「努力」は「できない」ことが「できる」ようにはならない。
「努力」は精一杯物事に当たることと意味している。
しかし、今のこの世間では「努力」を間違った方向に、つまり「練習」とほぼ同じ意味として扱っている気がする。
『「努力」すれば何とかなるよ。』
よくスポ根漫画などで使われるフレーズ。
今の説明でもわかるように間違っていることは一目瞭然。
そして。
さらに考えられること。
中途半端な「努力」。
『「努力」していれば何とかなる』
「努力」しても何にもなりませんよ〜。


そこで本題。。
「努力」って何ですかね?
「努力」って必要なんですかね?

私は、「努力」はそのプロセスに意味があると思っている。
「努力」しても目に見えて得られるものは殆ど無い。
しかし、目に見えない「経験」や「頑張り」は後々評価される。


就職時にも「努力」している子と「努力」していない子。
見た目は同じ実力でも、「努力」している子の方が「頑張る」という点では上回っている。
つまり、「努力」で手に入れられるものは「頑張る」ないし「頑張っている」という肩書き(←ちょっと違う気も)ではないか。


さて、これをふまえてあなたにもう一度伺います。
あなたにとって「努力」って何ですか?あなたにとって何の意味があるんですか?